追悼 ジェラール・シュレール

先日亡くなったジェラール・シュレールを偲んで、以前載せたエッセイを再掲したいと思います。

「太陽と大地がある限りいつも私は畑にいる」
ジェラール・シュレールのこと

澤田一眞

会ったらいつも笑顔で迎えてくれるジェラールと話すと、気分がなんだかおおらかになる。そんなオーラを感じる人だ。

彼はアルザス訛りのドイツ語を話す。これがまた味があっていい。一方、パリに住んでいた日本人にきいたら彼のフランス語はドイツ語訛りでわかりにくいそうだ。つまり、彼は生粋のアルザス人なのだ。
彼の小学校時代はドイツ占領時代で標準ドイツ語を強制的に習わされた。ドイツ人の先生から「お前は明日からジェラールではなく、ゲルハルト(ドイツ語読み)だ。」と言われても、あくる日にはアルザス訛りで「僕、やっぱりジェラール」と言い張った頑固なアルザス少年だった。
その頑固さで、後の化学肥料・除草剤万能の時代にあっても、周りから変人扱いされても全くそれらを使わず、ひたすら畑で耕作に明け暮れて、健全で生態系の保たれた畑を守り抜いた。
シュレールで6年間働いて独立した鏡健二郎は僕にいつも言っていた。ジュラールは人生の先生で、2番目の父親だと。

いつも畑にいて、大地と太陽と共に、いや、自然と一体となって働いている彼。しかし、「自然はいつも恵みをくれるわけではない、一本もワインが出来ない年もあった。あの時は大変だった。」とも話してくれた。でも、かれはそんな自然と共にする人生を愛している。毎週日曜日にはミサに欠かさず通う敬虔なカトリックで、奥さんを亡くした孤独で病気がちの友人の話し相手になりに毎週通う、優しい人でもある。
こんな人があの素朴で自然の恵みを感じるワインを造っている。

ジェラールに会うと自然のエネルギーをいつももらって帰る。また、会いに行こうと思う。